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2015年6月 1日 (月)

バーベキュー

Nさん(悠悠庵代表)から「菜園で懇親会をするので来ませんか」と声をかけられた。行って見れば、野趣豊かと言えばその通りであるが、ビニールテントを張っただけで、どこから調達して来たか知らないが、椅子もテーブルも相当年季が入っており、畑と雑草の中で10人ほどの同好会員が飲んで食っての放談会のようなものであった。自然だけは素晴らしいが、電気も水もなく、夜は漆黒の闇になるので12時スタートとなった。そばを打ち、菜園づくりにいそしむ悠悠庵の人達のイベントである。60代半ばの人(団塊の世代が)が中心のグループでNさんの統率力とそれを支える複数の船頭?のせいか、うまく運営されているようである。みんなが持ち寄った、牛肉、牛ホルモン、鹿肉、猪肉、鯵の干物、傍の菜園で採れた、玉葱、大蒜、ピーナッツ、床漬(胡瓜・大根)を酒の肴にして、麦酒、焼酎等々を酌み交わした。老いているので大事にされていることを感謝しながら、良い気分(酩酊状態)でタクシーにて帰宅したが、昼酒はよく効いた。人生の終わり近くになって、こんな贅沢があって良いのかな~と思ったが、明日は血圧が上がったと大騒動して家内から小言を頂くのではと不安になる。

この場所は、炭鉱華やかなりし頃は、ボタ(選炭された石炭以外の部分⇒捨石)を積んだトロッコが高台に巻き上げられ、少しずつ山になっていったところである。炭坑節ではないが、一山二山三山越えで、3か所以上あったボタ山は、60年以上経過するうちその面影もなく、立派な緑の小山になりボタ山には見えない。1901(明治34)年官営八幡製鉄所ができ二人三脚のように炭鉱が発展し、この町は小さな農村集落に過ぎなかったが、炭田(室町時代に燃える石して利用されていたと言われている)が発見され、炭鉱会社が進出、農地、山林を買収して炭鉱の町を作りあげ、本事務所、社宅、病院、学校、大浴場、理髪等々を備えていた。世界遺産登録とメディアが騒いでいる軍艦島を彷彿させるような規模であったが、平面的で海中の島でなく川の流域に広がる台地で、この町の大半を占め、広大な炭鉱が所有する用地にへばりつくような商店と住居が点在する集落からなっていた。炭坑の閉山の頃は、団塊の世代の時代になり、都市のドーナッツ化現象で、沢山な団地が造成され、村から町へと大きな変化が見られ、住宅地にはなっていった。それも今は、団塊世代の高齢化に伴い、限界集落的な要素を多分に持っており、各団地の商店街もシャッター街になり、高齢者は、日常生活用品の買物等が不便な現実がある。弘法大師ではないが、時代と共に生きることの難しさを痛感する。

今日を撮る。飲んで食べて、カッポ酒、野菜は産直?〆は刷毛塗りの焦げ目のついた焼きお握り、飲んだ喰ったの1日でした。ついでに、周辺の景色も少し。

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2015年2月 4日 (水)

ご冥福を祈る

イスラム国に拉致された2名の方が残念ではあるが帰らぬ人となった。メディアは人の死の悲しみよりも言うところの個人情報に目が注がれ、テレビ、新聞等を通して膨大な情報を提供してくれた。政治の世界も然りである。世界中の指導者が怒りの発言をし、テロの撲滅を訴える。日本の政府首脳も経過報告の中で救出に向けて「緊張感を持って」と言う言葉が何度も繰り返された。しかし、世界の首脳の弔問外交のように、家族の悲しみのような感情が見られない。ただ、情報の中にあった家族の発言の一言に救われた。息子を殺された父親は、救出のためイスラム国で殺された方の「ご家族には申し訳ない気持ちでいっぱいです」。殺された方の兄の言葉「兄としては今回のことは軽率な行動だったと思います」。この言葉に何か家族の方の人間の優しさ、思いを感じます。以前「生とは偶然の積み重ね」と言うブログを更新したが、この事件も個々の人間が偶然の積み重ねからの永遠の別れのように感じます。心からお二方のご冥福をお祈りします。

翻って「目には目を歯には歯を」の負の連鎖ではなく、紛争、戦争ない平和な世界を築く努力を、世界の指導者にお願いしたい。役には立ちませんが、田舎の片隅で期待しています。

神も仏もあるのかな~?今日は立春、毎年4月末には「藤まつり」で賑わう吉祥寺を久しぶりにのぞいて見ました。(境内は静まり返り、春を待っているようです。)

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2014年12月16日 (火)

選挙とは

マキャヴェッリの君主論ではないが、何でもありが政治の世界であることは間違いない。今回の選挙は、暮れの慌ただしい中で、争点も曖昧なままに、時の政権の圧勝に終わったが、お蔭で、寒い中をのこのこ投票に行って来た。投票率は、50%ちょっと言う低投票率で、国民有権者の半数5,000万人が投票をさぼったことになる。政権を維持した側を見ると、投票総数の2,500万人で291名の議員を確保し圧倒的な多数で政権を運営して行くことになる。しかも、政権グループの政党を加えると憲法改正につながる3分の2以上の議席を確保している。日本が将来どんな方向に進むのか、政治評論家やメディアの解説者のような予知能力の持ち合わせはないが、いずれにしろ、国民の権利を放棄している国民には、日本がどんな方向に進もうと何も言えないことは事実である。

今朝の朝日新聞「声」の欄に高校生が投稿していた文章を一部を引用すると「投票は国のあり方と行方を決めるだけでなく、自らの権利の保全ひいては先人たちの努力に報いることになる。有権者の方々には、それをしっかりと理解して投票者に行ってほしかったのだが・・・・・・。」含蓄のある言葉であり同感である。この高校生に対して反省せねばならない国民が5,000万人もおるかと思うと、権利者として忸怩たる思いである。

菜園の大根も残り3本になり、ジャガイモも必要な時に採り残りに少なくなった。春菊の間引き菜は、味噌汁の具にして頂いているが、残った春菊は益々大きくなっている。冬場の青物の少ない時期には有難い野菜である。写真は上段大根とジャガイモ、下段中葉春菊と大葉春菊。

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数日前、久しぶりに「晩成の郷」の近くの「どこから来たかの?どこに住んでいるのか?」と会う度に聞く高齢者宅の前を散歩したが、庭は雑草が生え、住んでいないようであった。病院か施設にでも入所したのかな~?近くのたわわになった野生の柿を撮る。いずれ野鳥の餌になるだろう。

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2014年11月15日 (土)

通路整備

悠悠庵(そば打ち・菜園同好会)の皆さんの便宜を図る為に、駐車場を繋ぐ通路を整備しました。悠悠庵は、「晩成の郷」を閉館した際に利用されていた人たち有志が、継承、立ち上げたグループで、発展途上にあります。12月になると年越しそばの準備が始まるでしょうし、同好会の皆さんもそば打ちにたくさんお見えになるでしょう。そういった事情を推察して、それなりに経費がかかりましたが、お役に立てばと思い通路を整備しました。美味しい年越しそば打ちを和気あいあいで楽しまれてください。

整備された通路とFさんにスナップエンドウとグリーンピースを植えて貰う菜園。(上段) 我家の菜園の春菊も成長してます。今日収穫の大根は、大根なますで美味しく頂きました。(中段)冷たい水の中で魚を狙うアオサギと朝の散歩から日中散歩になった川辺。(下段)

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2014年10月31日 (金)

「晩成の郷」周辺の出来事

昨日、Nさんから☎があり、年賀ハガキを頼みたいとのことであった。有り難いことで、「よろしくお願いします。」と言っておいた。今朝、再び☎があり、「今日は悠悠庵のグループが農園に集まるので来ませんか。」とのことであった。年賀はがきのお願いもあり「晩成の郷」へ出かけた。

Nさんのグループの農園を見ると、数人の方が耕作中であり、一段と拡張・整備されており、いろんな種類の野菜等が育っていた。Nさんは、利用させて貰って、健康にも良いと大変喜んでいた。更に悠悠庵(そば打ち等同好会)の発展に協力したことに対しても感謝していた。年賀はがきの依頼等雑談した後、立派に育ったさつま芋(紅あづま)を頂いた。有難いことです。今日は曇っていたので、皆さんの畑仕事もはかどったのではないでしょうか?

今日の「晩成の郷」周辺を撮る。Fさんが雑草取りをして綺麗になった崖地と夏が過ぎたのに相変わらず元気の良い琉球朝顔(上段)とNグループの農園(中段)、Nさんから頂いた掘りたての立派なさつま芋(下段)。

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2014年9月29日 (月)

御嶽山

学生の頃、コンパで木曾節を歌ったことがあったが、歌詞の中に御嶽山が出てくる。我流もいいところで、今思えば赤面の至りである。若さと飲んだ勢いが、平気で人前で歌わさせたのであろう。当時、憲法学者であり正調木曽節を唄えることを自認していた西村教授から「君の節は木曾節ではないよ。」と言われたことを今でも覚えている。27日その御嶽山が噴火して31名が心肺停止になり、搬送された4名の死亡が確認されたと言うニュースが今朝の新聞に出ていた。後の27名は山頂近くに残されたままとある。今日も救出努力が続けられるであろうが、絶望的ではなかろうか?自然の力は、人間の英知をもってしても予知することが出来ないのだろう。不運と言うしかなく、亡くなられた方のご冥福を祈るのみである。御嶽山の噴火もおさまり、救助活動が順調に進むことを願っています。

今日も快晴、我が家のささやかな菜園には、来年用の青紫蘇の種確保用、ジャガイモ、大根、ブロッコリー、カリフラワー、小松菜も植えていますが、順調に生育しています。今日の昼食は、海老、蓮根、牛蒡、南瓜、生姜等の天ぷらでした。青紫蘇の実も天ぷらで添えてくれましたが、パリパリ、プチプチ感の歯ざわりが良く、麦酒に良くあい美味しく頂きました。

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2014年8月19日 (火)

セブ島語学留学

孫がフィリピン共和国セブ島(セブ空港のあるマクタン島)に2週間語学留学しました。

私も、フィリピンは太平洋戦争の際、日本が全土を占領していた時期があったことを知っておりましたが、フィリピンの国情について無知でしたので、ネットのウイキペディア等を調べて見ました。歴史を見ると強国の支配を受けながら、やっと独立国家になったようです。人口は1億人を超え、大小7,107の島からなり、全国で数十人いる大地主の一族が国土の半分以上を所有し、1日2ドル未満で暮らす貧困層が約4,000万人国民の40%を占めているそうです。だから、マルコス元大統領夫人のように、何千足もの靴を揃えた富裕層と1日2ドルで生活する貧困層との格差は著しいようです。

貧困による劣悪な生活環境と都市部における窃盗、強盗等犯罪も多発し、このような国に留学させることを心配しましたが、孫が自分の目で見た2週間、世界を知る良い機会であったと思っております。

孫が撮ったフィリピンの子どもと自然環境の素晴らしさ、スラム等劣悪な環境の現実。しかし、子どもの生き生きした笑顔を見ると、物のなかった戦後の自分達が活き活きと遊んでいた時と重なるような気がします。夢を大きく持ち素晴らしい未来を築いてほしいと願いました。

透きとおった海で群れ泳ぐ魚と独特の観光船

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 笑顔の子ども達と元気に遊ぶ子ども達

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街の風景(セブ島)※首都マニラ等大都市は、東京、大阪と同様大都会です。

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