ウェブページ

Powered by Six Apart

お気に入り

« 2016年4月 | メイン | 2016年6月 »

2016年5月

2016年5月29日 (日)

今日も今日とて(雑感)

今朝は雨が降っている。数日前に天気予報士が「梅雨のはしり」と言っていたが、ここ数日どんよりと曇り雨が降ったり止んだりする日が続いている。天気が悪いと気分的には鬱陶しくなるが、菜園の野菜にとっては成長の糧になるだろうし、お蔭さまで朝の味噌汁の具になり恵みの雨と言うことになる。食後は、ワンパターンで、日誌(起床時間・血圧・体重・天気・温度・運動・食事内容等)等をパソコンに記録するのを日課としている。これは、第2の職場でプレイニングマネジャーをさせられたので(生活のため)、我流ではあるが(人の世話になるのが嫌い)パソコンをマスターできたことである。それ以来パソコン技術を駆使して(自画自賛)?自分なりのデーターを10年以上にわたって蓄積して来た。しかし、根がいい加減なので過去のデーターを活用とせず今に至っている。ぼんやりパソコン画面を見ていたら、中年の頃、組織と言う群れの社会から弾き飛ばされ、孤立した時に「365日をどう生きるか ジョン・A・シンドラー1954年著」を呼んだことを思い出した。この本が、それからの人生に大きな影響を与えたことは間違いない。ええかっこ言っているが「喉元過ぎれば」だったかも知れない。古いことなのでネットで調べて見た(廃刊?読んだ本ではないが)。この齢になって一番共感したのは、老いと向き合うための8つのポイントの中の「8 死ぬことを心配しない。心配しても何にもなりません。大先輩たちがみな通ってきた道です」。ひろ さちや氏ではないが、気楽に生きよ!か。

図書館

今日は、定例の2週間に1回の図書館行きである。共鳴・共感できる本に出会えるかな~

2016年5月28日 (土)

今日も今日とて(心房細動と麦酒)

☆  心房細動と麦酒

不整脈には期外収縮、心房細動、心室細動(これは危険)などがあるらしい。吾輩の場合は、進化したと言うか老化が進んだと言うのか、若い頃の健康診断(心電図)では期外収縮と診断されたが、無事に高齢者と呼ばれるようになった頃、心電図検査で主治医から心房細動との御宣託を受け(その時の主治医の得意満面な笑顔は今も忘れられない)、24時間ホルター、心エコー等々の検査の結果、正真正銘の慢性心房細動となり現在に至っている。朝晩の血圧測定と脈の測定は、年がら年中ほとんど欠かしたことはない(何回か図ると一回一回、血圧・脈もバラバラではあるが、素人判断では許容の範囲と思っている)。かかりつけ医では、毎月1回脳梗塞予防のための血液検査と投薬、それにトータル的な血液検査を毎年1回ないし2回行っているが、数値的には特に変動はないようである。こういった状況が高齢者となり5年以上になる。年がら年中品行方正な日々ではないので(年に何回かの大酒)、たまに懇親会等で羽目を外すと、2~3日間は血圧が上がった、心拍数が増えたと大騒動し家族に迷惑をかける「蚤の心臓の」吾輩である。毎度のことなので、いつものことと家内は冷静に受け止いる。これが実に面白くなく、吾輩の愚痴っぽい気分を逆なでするのである。そうは言っても、こんな調子で父親よりも13年以上長生きしているのだから親孝行と言えば親孝行になるのかな~(若い頃は常識として親より先に死ぬのは親不孝と言われたものである)。最近は、好きな麦酒も小1缶にしていたが、一昨日2缶飲んだら朝から身体に不具合を生じ、めまいの症状がでて、「蚤の心臓」の吾輩は慄き驚いた。結果的には一過性だったのだろう夕方はいつもの散歩をこなした。歩きながら考えたことは酒とは縁を切ろうかと思案したことである。毎度毎度の「喉元過ぎれば」のことかも知れないが。

☆  ボウリング  

無為徒食の日々ではあるが、ひろ さちや氏流に言えばこれでいいでしょうと言うことになるんじゃないかい?好結果を残した1週間前から、今週は、2度の例会と1度の練習ともに芳しくない成績であった。アベレージが30点近い落ち込みとなり、130点にやっと届いたところである。アベレージ150点の目標設定をしていたが、これでは後退も良いところである。どんなスポーツでもメンタルが重要であるが、ボウリングも然りである。その日の体調、レーンコンディション、インストラクチャーのアドバイスの影響を受ける。今週は、ゲーム中にレーンの故障、飲酒後遺症による体調不良等の影響があったと思っているが、特に、インストラクターのスタンスドットの位置指導が、自分の立ち位置を否定したのが大きな要因ではないかと思っている(自己責任を転嫁)。次会までに練習を重ね目標アベレージを目指したい。

☆  孫の帰省

孫が2泊3日で帰省した。中学に入学し寮生活を送っているが、元気そうで寮友とも仲良くやっていると話してくれた。入学から2か月近くで大きく成長しているようで大したものである。

☆  読書

「狂い」のすすめ ひろ さちや著(東大卒 印度哲学・仏教学)を読む。

最近この著者の文庫本を3冊読んだが、人生成行き「世間・常識」に騙されず気楽に生きた方がよいよと言うことらしい。面白く共感したところは多々あったが、そんな生き方は、相当腹を括って、覚悟して臨まなければ現実的には厳しいかなあ~と言うのが実感である。

2016年5月22日 (日)

今日も今日とて(読書)

☆ 散歩

朝の散歩に出る。今日は小学校の運動会、子ども達が運動着で三々五々とキャキャ言いながら学校へ向かっていた。暑い日が続くので散歩に出る時間も早くなった。朝食後30分程度経過後の散歩が血糖値を下げる効果があるそうなので素直に従い適当に歩いた。散歩中に相変わらず烏の親子がやって来た(烏は利口な鳥類に属するのかな~電柱や森の樹々からチェックしているのかな~)。キャットフードを与える。遊歩道に降りて来て、他の散歩中の人達に注意を払いながらついばんでいた。

☆  読書 

「われ大いに笑う。ゆえにわれ笑う 土屋賢二著」を読む。

哲学者である著者は、タイトルで読者を引き付け、一般読者が笑点流に言えば「もの凄~く」近寄りがたい哲学に興味・関心を持って貰うために涙ぐましい努力をされ(冷や汗をかいていると想像する)、「われ大いに苦しみ。ゆえにわれ苦しむ」と言ったところではないだろうか?内容的には屁理屈と駄洒落の連続のようにも思われ笑っちゃいますが、この学問の素人である吾輩は、この中に「哲学」が腹一杯詰め込まれているのではないかと疑ったりしている。スーパーなどで、野菜や魚肉等の「詰め放題」で客寄せやっているのを、テレビ番組で見るが(俗っぽい番組はたまたまであり滅多に見ないが?)、客が涙ぐましいぐらい創意・工夫して詰め込んでいる様子を見ると、面白く、可笑しく、切なくなるし感心する。この本も、読者に対して、「笑いを詰め放題だよ」と言って哲学普及の客寄せをしているのかも知れない。いずれにしろ、哲学する能力は毛頭ないが、詰まらん馬鹿番組(タレント・芸人等)よりもよっぽど面白かった。

「原発の闇を暴く 広瀬隆・明石昇二郎著」を読む。

この本を読んで、日本と言う火山列島に、50近く原子力発電所を作ったことの恐ろしさを痛感した。一蓮托生と言うが、国民が知らぬ間、あるいは、真実を知らされないように官民指導者サイド、マスメディアによって、安全・コストを旗印に世論操作され、その一員にされていることである。戦前の日本は、国民を「鬼畜米英」で一銭五厘の赤紙で戦争にかりたて、戦争反対と叫んだり、反対行動を取れば、非国民で拷問にかけられた歴史がある。沢山の国民が死に、最後は原子爆弾が広島・長崎に落とされ凄まじいものだったが、核兵器もさることながら原発、放射能は事故(人災)があれば、これではすまず、国内、国外での被害、場合によっては人類の滅亡の危機さえはらんでいる。巷では、馬鹿なテレビ番組に毒され、馬鹿な新聞、馬鹿なテレビと言う「パンとサーカス」でアホな国民を醸成しているが、思い出すのは、小泉元総理です。総理時代は格差社会、貧困を助長し、下流老人、ブラック企業、派遣社員を作り出した。たが、辞任後は、原子力発電所については廃止・廃炉すべきとの反対運動を行っており、功罪相半ばすると言ったところだが、人間の滅亡を先送りする視点からは、罪より功が大きいと思う。現在の日本の政府、経団連、マスメディア、専門家(御用学者)が原子力・放射能の危険性を国民に事実を知らしめない状況が続く中で、元総理が声高に、勇気を持って反対をする行動は称賛出来る。最後に、この本に書かれている放射能データー等専門知識に対する理解は十分には出来なかったが、地震・火山・活断層・財界・政界・マスコミを包含する危険列島日本を理解させていただいた。刑法「未必の故意」にも久しぶりに出会った。

2016年5月20日 (金)

今日も今日とて(剪定)

庭の手入れ

居候先の庭(猫の額)を一宿一飯の恩義で?手入れした。なにせ植木職人の経験もなく全くのど素人がやるのだからいい加減なものである。数少ない庭木をあっちこっちから眺め、自由に適当に切っておいた。まあ、庭木と言っても価値の無い安物なので(家主さんには大変失礼な言いぐさではあるが、身内なので許してもらえると甘い考えで言っている)、下手くそな剪定であってもクレームはつかないだろうと想定していた。哲学者の土屋賢二氏流に言えば、歌舞伎でもクラシックにしろ、ど素人が見ても聴いても分かりっこない(身内は、庭木に関心もなければ興味もないようなのでどんな剪定をしようが分かりっこないので気楽である)。最近亡くなった大物俳優のTさんのように、専用個室で、オーナーから丁寧に理髪されるのと違って、10分程度チョキチョキ切られ、スッキリしたな~と思う吾輩のレベルに相応しい身内のレベルである。結果は家主から「きれいになったありがとう」で済んだ。高貴高齢者は、土屋賢二氏流に言えば、足腰の破損・被害は甚大であった。恐らく1年間以上は腰痛等に悩まされるであろう。

読書 

「世間も他人も気にしない ひろ さちや著」。この本を読んでいると、高貴高齢者に相応しいことが書かれている。著者は後期と言われるのを嫌っておられ、吾輩も同感で借用した。年金生活に入り、競争と言う社畜 社奴の世界から離れて、やっと世の中を冷静にみられるようになったと思う。殆んどすべてにおいて、競争で成り立つ現在の世界、日本を見ると人間としての生き方が否定されていると思わざるを得ない。この本との出会いは、人間として原点を見つめ直すことが出来る稀有な本である。偽善宗教なんか糞くらへと言った気分にさせられる。

ボウリング

最近不調が続いていたが、今日の例会は久しぶりに良かった。3ゲームのアベレージは、159点で160点に後1点と云う吾輩にとっては嬉しい誤算であった。最初のゲームではワンフレーム以外はすべてスペアーとストライク2回であった。これをきっかけに目標180点を目指したい気分になった。こうゆうことがあれば、それほど努力したわけではないが、胸を張って「為せば成る」の気分になる。

2016年5月17日 (火)

今日も今日とて(ロビイスト)

今朝の朝日新聞「天声人語」に「誰かの利益のため、権限のある人たちに働きかける。そんな仕事をロビイストと呼ぶとあるが」、東京オリンピック招致運動で、シンガポールの会社に2億数千万送金されていたとのことである。メディア等がワイワイ騒いでいるが、数日前に都知事をやり玉に上げて政界、メディアが騒いだが、今回も国民の不満のガス抜きであろう。素人なりに想像すると、オリンピックを招致するには、政府、財界は、このような「はした金」はものともせず、タレント、元オリンピック選手等をフル活用して、国税・都税を使い招致に成功したのである「メディアも加担しているのは当然である」。4年後のオリンピックに向けて、景気・景気の御旗を掲げ着々と準備しているが、オリンピック会場、エンブレム等十分にチェックすることなく使われ、どれだけ国税、地方税がこれからも使われることだろう。4年後開催されると、ローマ帝国の「パンとサーカス」ではないが、国民の一部は観覧しテレビ等を通じて興奮しているだろう。しかし、その陰で貧困にあえいでいる国民は、そう言ったイベントに関係なく生活している人が多数存在するのも事実である。オリンピックと言う華やかな部分を利用して、官民一体となって国威のために宣伝・表現され、政治家には票を、関連企業は利益を得るが、格差社会における貧困層は、派遣社員「中高年ブラック派遣、人材派遣業界の闇 中沢 彰吾著参照」にみられるように、ロボット並みの仕事をし、労働環境も厳しく、人権も侵害され、陽があたらないことを苦々しく思う。

我家の菜園は、ささやかな野菜(トマト・小松菜・ジャガイモ・葱)が育っている。自然は災害をもたらすが、政財界の闇をメディアでチラリと見ると、こんな自然は良いね~ 

Dscf5108

Dscf5110



Dscf5111

Dscf5112

2016年5月15日 (日)

ハトに餌やるな!

好天気で、川辺を散歩していると、同年配と思しき人が雀に餌をやっていたが、鳩が雀の餌を狙ってやって来ると追いかけまわしていた。私の顔を見ると照れくさそうに「鳩に餌をやってはいけない」ことになっていると弁解していた。私は内心ではやってもいいじゃないかと思ったが、「確か新聞に載っていましたね」と共鳴・同意した。日頃家内と散歩するときは、生き物好きの家内は、散歩道の住民から野良猫糞をするからやるなときついお達しを受けて中止「事実は人なつっこい飼猫だったが」、仕方なく散歩で出会った烏にキャットフードをやっていた「最近の話題で鳩には餌をやるなと新聞に出ていたものの、烏に餌をやるなとは出ていなかった(屁理屈かな~?)」。先に散歩をすませた家内に「烏は来たね」と尋ねると「来なかった」と残念そうであった。私が一人で散歩するときも、餌をくれる相棒と顔を覚えられたのか「烏は利口である」、難聴の私がびっくりするような大きな声でカーカー鳴いて餌をねだることが度々あった。だが餌をやることはなかった。今朝は、家内に同情してキャットフードをもって散歩していると、烏が「カー」と鳴きフェンスにとまった。私もルビコン川を渡った心境で烏の催促に応じて餌を与えた。餌をついばむ真っ黒な烏も可愛いものである。原発や核兵器のようなものには、反対と声高には叫ばない人間(大多数の国民)も、身近にいる生き物には厳しい目を向けるものである。だが生き物でも、ゴキブリ・蛇を研究されている学者先生には申し訳ないが、これは苦手である。

図書館

2週間ぶりの図書館行きである。今回は「いのちをつなぐ無料低額診療事業 吉永 純編著」「江戸の流刑、小石 房子著」「考えないヒト、ケータイ依存で退化した日本人 正高 信男著」「危機の日本人、山本 七平著」「原発の闇を暴く、広瀬 隆著」「すばらしき国鉄遺産、塩塚 陽介著」「誰も戦後を覚えていない 鴨下 信一著」「中高年ブラック派遣、人材派遣業界の闇 中沢 彰吾著」「人の気持ちがわかる脳、利己性・利他性の脳科学 村井 俊哉著」「百姓から見た戦国大名 黒田 基樹著」の10冊(返却日5月29日)借りた。共鳴・共感できる図書に出会えるかな~

2016年5月14日 (土)

今日も今日とて

☆ 散歩

いつものように軽い散歩に出る。天気も良く河畔を歩く人達も気分良さそうに歩いたり、ジョギングしたりしている。若い人は、外来種のバス釣りゲームかな?疑似餌の付いた竿を何度も何度も川に投げ込んでいる。一昨日上流まで歩いた時は、濁っていた水は澄んで川底まできれいに見え小魚が群れをなして泳ぎ、眼のふちが赤い外来種の亀が泳いだり石の上で甲羅干しをしている。

☆ 受診

昨日は、1か月半ぶりに「かかりつけ医」を受診した。10日分余分に投薬を受け、連休明けの受診者のラッシュを避ける配慮をして頂いた。診察結果は血圧も安定しており「良いですね」の一言にほっとする。心房細動は慢性化しており「老化現象ですよ」と安心させてくれる。転院して1年以上になるが、血圧が高いですよと脅された医者に比べると「月と鼈」である。「清水の舞台」からとびおりて本当に良かった。主治医の話で安心して元気を貰っている。

☆ 読書「本貸出(5/1)と返却(5/15)」

明日は返却日である。「新しい中国人、ネットで団結する若者たち 山谷 剛史著」「隠居宣言、横尾 忠則著」「解決!空き家問題、中川 寛子著」「下流社会、新たな階層集団の出現、三浦 展著」「自治体格差が国を滅ぼす、田村 秀著」「弱者99%社会、日本復興のための生活保障、宮本 太郎著」「生活保障、排除しない社会へ、宮本 太郎著」「超高齢社会の基礎知識、鈴木 隆雄著」「暴走する世間で生きのびるためのお作法、佐藤 直樹著」「南相馬に躍動する古代の郡役所 泉官衛遺跡 藤木 海著」計10冊借りていたが、斜め読みしたりパスした本もあった。

日本では下流社会の出現、社会的弱者、貧困者が増加する一方で、富める者は更に富めるで、テレビで成金の邸宅の豪華な部屋、何台もの車、鞄・靴・時計等のブランド品を見せつけられると、一般国民の生活との乖離に唖然とさせられる。ユニクロ柳井代表のような1兆に届くような金持ち等も新聞等で見られる。戦後の一時期から見れば、半世紀の間にもの凄い格差が広がったものである。自分が働いていた頃は、「グラフ」で見れば山なりの中間層と呼ばれる普通の生活者が大半であった。あの頃は、家族でデパートへ行って衣料品や靴や雑貨を買って、デパートの食堂で食事が出来た記憶がある。今はデパートへ買物に行くことは皆無である。下流社会入りしたのかも知れない。弱者99%の現実ではないが、子どもも大人も貧しい者は益々貧しくなり増加している。結婚、子育て、マイホーム等は夢のまた夢、所得も月に10万か多くて20万円の派遣社員等は、当時の中間層が今貰っている年金程度である。職業も不安定で将来の夢も希望もない者が増加している。困った世の中になったものである。

☆ ボウリング

手先・足・腰が安定せず、スペアーをゲットするのは、まだまだではあるが、最近は、少し上達したかな~と言うアベレージが出るようになった。昨日は例会、今日は練習でボウリングに行った。結果は、昨日の3ゲームのアベレージが141点、今日の4ゲームのアベレージが159点と好成績であった。こういう数字が出ると、コンスタントに150をクリアー出来そうな気持になる。「努力は実る」と言ったところか?今年は、欲を出して180点の目標設定にするか。

2016年5月12日 (木)

群れをなす

☆ 読書

暴走する「世間」で生きのびるためのお作法 佐藤直樹著を読む。愛犬が死んで喪中はがきを出す弁護士の不思議、一般的な喪中はがきの不思議から始まり、日本における「世間」のオキテを提示しながら「世間」の暴走を提起している。現在の日本における付き合い方の「歪」を西欧の例を示しながら違いを説明されており興味深く読ませて頂いた。また、この中で子ども達にも「プチ世間」があり、友達と協調していないと、出る杭は打たれるで仲間外れになり、孤独・いじめ・自殺に繋がるとあった。

この本を読んで思い出すのは、若い頃の研修で7,8人で高知市へ行った時のことである。3日間、昼食時間になるとぞろぞろと同じ食堂へ行き、同じものを注文したことがある。夜も同じ飲食店にぞろぞろ入り、飲物も食べ物も同じであり、これが旅行中のパターンであった。一糸乱れず群れをなす行動とはこのことを言うのだろうか?別行動を取るとか、皆がラーメンを注文しているのに、自分だけがそれ以外のものを注文すると「世間」の掟破りになり、旅行中孤立していたかも知れない。

解決!空き家問題 中川寛子著を読む。日本における空き家問題は、国の住宅政策、少子化、格差社会、貧困化が根底にあるようである。リノベーション等の政策を提言されているが、住宅問題は、テレビ、ネット等で都市部での狭い道に無計画に建てられた戦前からの家屋が多数残っている様子や、過疎化に伴う限界集落の老朽家屋等を見るとき、一筋縄では解決できないな~と思っている。この本を読んで、相続人に迷惑をかけないように不動産(価値の無い)を始末しておかねばならないことを痛感した。

☆ 散歩

日頃は同じパターンで河畔を歩いているが、数日前からの雨で増水し濁っていたので、どの辺まで濁っているのか興味がわいたので、上流に向かって歩いて見た。道に沿って木々が植えられ適当に木陰があり歩きやすかった。小さな川ではあるが、あちこちに淵があり、それぞれの淵には大きな鯉や小魚の群れが見られた。更に上って行くと川幅もだんだん狭くなったが遊歩道は続いていたので、帰り道もあるし身体に無理にならないよう注意しながら上流に向かった。小一時間程歩いただろうか、流れも澄んで来て濁りも少なくなったので探検終了し引き返した。下流迄戻って来るとやはり水は濁っている。2,3日すれば澄んでくるだのろうか?

2016年5月 8日 (日)

お父さん

今朝の朝日新聞「天声人語」で作家の落合恵子さんが、母の介護をしていて、母から「お母さん」と言われてショックを受けたと書かれていたが、私も現役時代に、母から「お父さん」と呼ばれた経験がある。私の母は、阪神淡路大震災の前日に黄泉の国へ旅だったが、高齢と末期がんで手の施しようもなく、死を待つのみの入院中であった。仕事から帰り夕食を摂り毎日のように病院に行っており、徹夜になることもあった。「夢は現か幻の」世界の母は、痛みに耐えかねて苦しそうによく唸っていた。背中をさすったり向きをかえてやったりしたが、時々悲鳴のように「お父さん」と言うのである。私は「お父さん」じゃないよと言いながら「冷たい息子である」、ゼイゼイいう喉の痰を吸引器で取ってやったりしたが、「お父さんだよ」ぐらい言ってやれば良かったかな~と、この歳になって思っている。あの時の母は、「今から逝くよ」と亡くなった夫を呼んでいたのだろうか。

2016年5月 6日 (金)

喉元過ぎれば

暇と言えば暇な日々であるが、何かしていないと日がたたない。ボウリングしたりウオーキングしたりパソコンしたりで日々を過ごしているが充実感がない。年寄りには過酷な労働になるかも知れないが、思い立って一昨日と昨日、「一宿一飯の恩義?」で居候先の環境整備をした。素人なりに垣根や植木の剪定、雑草とり等を行った。結果はいい加減なものであるが、ビフォアー&アフターで以前よりは見栄えが良くなり(自画自賛)一応終了した。昨晩は、毎日やっていることではあるが、血圧測定を行ったところ、心拍数が日頃より多く動揺をきたした(悟りの修業が足りない)。更に、連鎖反応をおこし血圧がみるみるうちに上昇した(投薬中ではあるが、日頃はほぼ標準値内である)。泡食って、深呼吸するやら水分を摂るやらすると若干低下した。日頃しないことを無理すると碌なことはない。やはり年寄りの冷や水か?今朝は、血圧、脈拍もほぼ標準に戻っており、気分的には落ち着いたようである。比喩が良いかどうかわからないが「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言ったところで、アベレージ150を目指し、今日のボウリング例会に参加する予定である。