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2015年12月

2015年12月31日 (木)

晦日

母校のネーミングの由来は「人間の寿命は天命によって決められており、修養に努めてその天命を待つのが人間の本分である」とある。漢文や中国人の心に残る言葉は、勉強不足で何とも言いようがない。哲学的な考えは毛頭ないし、修養に努めているわけでもないので、日本語に訳したような、素人でも読めばわかるような言葉になると、なるほど寿命とはそんなもんでないかいと迎合してしまう。若い頃はそれなりに本を買って読んだが、老いてから、ネット情報があるじゃないかと、ネットをフル活用して本を備蓄する考えは全くなく、年がら年中2週間1回、図書館で借りて来て読むと言う効率的・節約的(トヨタ自動車ほどではないが)で、乱読、斜め読み、積読をやっている。効果としては自己判断ではあるが、ボケ防止と暇つぶし(平均寿命とか健康寿命が伸びてリタイヤ後が長い)になっていると思っている。今年も除夜の鐘(108の煩悩)に手を合わせ、初詣におまいりする等して新年を迎える人が大勢いらっしゃるであろうが、若干宇宙人的発想を持っているので、一応宗教的儀式(祖先供養・初詣)を引き継いで来ているし、初詣にも行く予定ではあるものの、宗教的なものにはこだわらず生きて来た。1回限りの人生は成行き、偶然の積み重ねじゃないかい(誰でもそうじゃないのかな~?)。無事に晦日を迎えられラッキーである。来年も、修養には自信がないが、天命によって決められた寿命を、大事にしながら天命に逆らわず未知・未来の世界を歩む予定である。

早々に信州産の手打ちそばを食し、晦日の儀式は終わった。

2015年12月29日 (火)

日々好日Ⅰ

☆ ボウリング48

今日は、今年最後の練習に出かける。15ゲームこなした結果、ストライク28、スペアー51、ガーター1、アベレージ136点であった。前回が140点だったので、ほぼ140点台は確保できそうな段階に到達したような感じになった。来年が楽しみと言ったところである。だが、私の場合は基本的には人との交流がなく、一人で黙々と投げるタイプなので、他人との情報交換がないので、どうしてもレベルアップが出来にくいのではないだろうか?だが、人と交流しながら投げると、気を使い過ぎて集中力がつかない面が今迄多々あった。いずれにしろ一長一短、メリットとデメリットはつきものである。マイウエイで良いのではないかと思っている。

☆ おせち料理

ボウリングの練習を終わり昼過ぎに、腹は減るし、ヘトヘトになって帰宅すると、家内がおせち料理を作っていた。まずは麦酒である。酒の肴は、鶏肉と野菜の鍋、酢の物(蓮根・人参)、茹でた小松菜、更には、おせち準備中の中から、数の子、黒豆、栗金団を食す。最近は、時代の変化の中で年の暮れと正月とのけじめがついていない。我家もここ何年も同様である。スパーマーケットも、年の暮れから正月3が日連続して開いているし、そう言った案内が書かれた大売出しのチラシが新聞に入ってくる。静かな正月3が日は過去のこととなった?初詣でも同様早くなり、神社も数日前から福袋やお守り札も販売?され、けじめのつかない時代になった。除夜の鐘も10日ぐらい前からつき始めるようになるのではないかい?などグダグダ思いながら、飲みおせちを食したが、自家製は、市販されているおせちに比べると断然安く、添加物もなく安心して食べられ、美味しく旨い!家内に感謝あるのみ!

2015年12月26日 (土)

高血圧症・老いるⅠ

家内受診のアッシーで、久しぶりに「晩成の郷」へ行くのにH先生の元医院の前を通ったところが、建物は撤去され、土砂が山積みにされ広い更地になっていた。整地された土地の前には、マンション?建売住宅?の開発かどうかは知らないがD建設会社の看板が立っていた。あの当時、H先生の医院は3階建で医院兼先生の住まいであったと記憶している。入り口にはインターホーンがあり自宅電話も医院と一緒であったので、患者の緊急時に対応していたし、お陰で往診していただいた。時代とともに様変わりして職住分離、職住近接になったのも、クリニックも同様で(週休2日制祝日休みの公務員化?)、緊急時には救急車を呼んでくださいになった。世の中豊かになる?ことは、個人も命を大切するが、寿命も延び永久に生きると錯覚をしてしまう。健康思考の中で受診者が増え、病名の増加と治療の複雑化でクリニックと言う名の医業分科、専門科になり、患者はあちこちのクリニックを受診せねばならないようになる。相手変われど主変わらずである。受診先のドクターも千差万別、診断で患者はオロオロするばかりである。

今も転院後受診は続いているが、初診の頃のあの時代は良かったと思っている。長い間、高血圧を正常化することに脳がいっていたので、仕事と遊びとともに、他の症状、病名等にほとんど見向きもせず、減量、運動、飲酒、食事、睡眠等に注意を払いながらの生活であった。熟年女性をターゲットに「あれから四十年」で人気のあるタレントではないが、うまい具合に老人になったのがラッキーであった。高血圧以外に心配することなく、「死に方‘格差社会、満足できる死に方を迎えるためには 富家 孝/著」を読むと、年齢的には健康寿命のまま死のゴールをクリアしたことである。あとは死というテープをいつ切っても悔いはない!(本当かどうか自信は?であるが)

現在の血圧であるが、上140ー100/下90ー60と投薬(コニール2mg朝・晩、メインテート0.625mg朝、ワーファリン2.5mg朝)は受けてはいるが、初診当時よりも低いし、過去に言われていた年齢+90、有名な過去の東大教授が高齢者の血圧150~100の基準より正常化している。年齢から見ると下がりすぎではないかいと思っている。

久しぶりの「晩成の郷」の風景 南天と冬景色

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2015年12月25日 (金)

ボウリング47など

☆ ボウリング47

今年最後のクラブ例会であった。3ゲームの結果は、ストライク7回、スペアー10回、アベレージ141.4点、ハイゲーム159点と前回の例会とは雲泥の差である。これでグループ対抗戦に少しは貢献できたと自負している。今年最後の例会を優秀の美で飾ったと言えるだろう(誰も評価してくれないので自画自賛しておこう)。来年はアベレージ150点を目指して頑張るぞ!

☆ 自動車免許更新

「ものさし」の絵柄が出れば「オートバイ」と覚えておく。これが、後期高齢者の免許更新のための講習の記憶力テスト問題の一部である。この問題は4つのコースがあり、講習の際、この中の1コース16の絵柄を覚えてますかと記憶力が試されることになっており、認知症テストの一環として現在実施されている。認知症に関するテスト問題を官僚が考えたのか学識者が考えたのか知らないが、こういったテストで認知症の判断材料になるのだろうか思った。少なくとも試験場まで自ら運転して講習を受ける人の殆んどは、認知症の対象にならないのではと思っている。そうゆう私も来年は、後期高齢者として免許更新を迎えるが、事前に講習を受講、終了証を頂かなければ免許証をあげないよとなっている。1年以上あるので、暗記能力は高齢化に伴い間違いなく低下していることを認識しているので、免許更新まで1年間の合間合間にボチボチ絵柄暗記に挑戦しようかと思っている。

☆ 菜園整備

ボウリングでエネルギーを費やしたが、帰宅後昼食をとると元気になったので、狭い菜園ではあるが、大根、ピーマンも抜いて、備蓄していた腐葉土?を埋め戻し整備した。大根も立派にできたし、ピーマンの苗は1本植えただけだったが、たくさん実をつけてくれて毎日のように食卓を賑わしてくれた。感謝感謝である。整備した菜園(貰い物のセロリーとブロッコリーの脇芽が成長中)

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2015年12月23日 (水)

ボウリング46など(冬至・誕生日・年賀状・読書)

☆  ボウリング46

昨日も「我流」に磨きをかけるために行って来た。結果は15ゲーム(頑張っています)投げて、ストライク32、スペアー52、アベレージ139.5点、ハイゲーム186点とまずまずの成績であった。まだガーターが1回でたこと、オープンフレーム70回は、スペアーが取れないことの原因であるので、ボールコントロールとスペアーの習得技術に努力が必要なことを痛感した。この世に存在していることを想定して(明日のことは予測がつかないのが人生)、来年4月の1周年にはアベレージ150点、ハイアベレージ200点は達成したいものである。

☆  冬至

ボウリングからの帰宅後は、孫のアッシーが予定されており、早々に麦酒を飲んでとはいかなかった(結果的には休肝日になった)。遅い昼食は、南瓜のコロッケが食卓にのっていた。この南瓜は、スーパーで買って来て食べ、リサイクルした種が成長したものである。我が家では残飯(お茶殻・バナナの皮・リンゴの皮・南瓜の皮種・野菜・果物のへた)等を庭の隅に掘った穴に捨て土に混ぜるのが私の仕事になっている(それを猫の額の菜園に埋め戻す)。この南瓜もそこから生まれて、垣根を這っていたが、大きくなったので先月収穫したたった1個の南瓜である。家内が裏ごししてコロッケにしたらしい。味は、今風の甘い南瓜でなく素朴であったが美味かった。チーズ入り等5個食した。昼食後は本を読みネットを見ていたが、ボウリングで一汗かいたので、所在無く風呂に入ることにした。家内の知人から頂いていた十数個の小ぶりの柚子を浮かべて柚子風呂に入る。絞ると香りと皮膚へのピリピリ感が、何か身体が温まる感覚が良かった。明日から少しずつ夜が短くなるのかな~

☆  誕生日

喜寿、「線路は続くよどこまでも」の歌ではないが、生きていると言うことは、未知の世界を試行錯誤しながら歩んでいることになる。年齢からも近い将来お釈迦になるが、その未知が生きがいになっているのかな~国民の祝日の方と誕生日が同じとは少々恐れ入るが、ささやかなお祝いの宴をした。「Uの花」と言う全国チェーン店で、湯葉、豆腐がメインである。キリン麦酒(好みではない)を飲み、高齢者の誕生日に相応しい料理であった。宴会も終わり帰宅途中、5年ぶりのM珈琲に寄り原産地コロンビアを飲む。我家でもコロンビアを飲むが、店で飲むとの香りも旨みも違うのは何故だろう?良い気分で帰宅する。

☆  年賀状(思い起こすこと)

ワープロ、パソコンをそれなりに覚えてからは、下手くそな手書きにを書き加えて知人、友人に出していたが、最近はすべて手書きをしないようになった。原因は、字が一段と下手になり、貰った相手が読解不能との結論に至ったからである。年賀状をやりとりしていると面白いケースがある。

①たった1回のアルバイトで知り合った他大学の学生である。不思議と50年以上続いているが、その間一度も会ったことがなく、その頃の容姿も全く記憶にないが、年賀状のやりとりの中で経歴等が分かるのが面白い。卒業してT県の高校の教諭になったが、校長として退職した。今年の年賀状で、ロシアを観光したのか、モスクワ「赤の広場?」でご高齢の白髪混じりの夫婦がにこやかに写真に写っていた(紅顔の美少年?であった私も白髪の老人であるが)。学生時代に会っただけの一期一会で年賀状は続くものである。

②学友も年賀状のやりとりが続くのは2名になった。

一人は卒業後全く会ったことはない。小さな男で女友達も出来なかったことを悔やんでいたが、車メーカーの本社ある都市でY建設に勤務し退職した。今は、午前中は趣味と実益の畑仕事、帰宅後は一杯やって午睡する日々と書いていた。学生時代、彼は下宿、私は通学であったが、度々下宿先で何を語り合ったか記憶はないが、下宿の二階小窓をそっと開け隣の風呂場を覗いていたことを得々として話し羨ましく思ったことがある。冬の日中に下宿先で、フライ揚げのような煎餅やビーンズ、色付きピーナッツを酒の肴に、珈琲カップでがぶがぶトリス1本空けて、小間物屋を開き酔いが醒めた時は暗くなっていた。こちとらは酔いつぶれていたが彼は酒が強かったのだろう。起きた時に布団をかぶせてくれていたことを鮮明に覚えている。郷里に帰る時に汽車賃がなく私の時計を質屋に入れて汽車賃の足しにしたことがあった。卒業後会ったことはないが良い友だった。

もう一人は、鹿で有名なN市で住んでいるが、出張の帰りとか、N市観光で立ち寄るとか、我家に遊びに来るとか何度か会ったことがある。新大阪駅近くの貿易会社に勤め、出張の帰りに彼のおごりで、ホテル最上階のラウンジでバックグランドミュージックを聴きながら、ゆったり流れる淀川の広い河畔を眺めながら、麦酒を何本も飲んだこともある。彼は、現役時代に趣味で始めた焼き物が、趣味と実益を兼ねた生きがいになったようで、退職後、築後100年以上の妻の家に陶芸の店を持つに至った。一人息子は、大学を出てロシアに行っていたらしいが、40近くなっても定職に就かず結婚しないので、彼は心配していたが、陶芸店の跡継ぎになり女子学生と結婚しほっとしていた。このことは、テレビの「劇的ビフォー&アフター」と言う家のリニューアル番組で知った。彼が「テレビに出るから見てくれ」と葉書をくれたことである。その日はテレビを懸命に見たことが思い出される。その中で、息子夫婦の住まいと陶芸教室をリニューアルしていた。大学生の初々しさと息子のデレデレした顔が印象に残っている。

二人は、今も手書きの年賀状をくれる。卒業間近のときは手紙のやりとりを頻繁にしていたが、処分してしまった。齢をとって字体の記憶も薄くなっているが、こんな字の手紙をくれていたな~と、書体は変わらないな~と感じている。自己顕示欲の強い人ではないので有名人でもないし、直筆もお宝にはならないが、生きている限り手書きの年賀状を貰いたい。自分はスルーするが嬉しいものである。

図書館で借りた本 返却日2016.1.10

「有栖川有栖の鉄道ミステリー旅 有栖川有栖/著 山と渓谷社・アンフェアな国 秦 建日子/著 河出書房新書・おとなの流儀、常盤新平/著 マガジンハウス・救命センター当直日誌、浜辺祐一/著 集英社・ここが一番おもしろい世界史と日本史裏話大全 歴史の謎研究会/編 青春出版社・鮫言 大沢在昌/著 集英社・死に方‘格差社会、満足できる死に方を迎えるためには 富家 孝/著 SBクリエイター・大平閑話滑稽伝 徐 居正/著・たっぷり生きる、日野原重明/著 角川学芸出版社・日経平均の読み方、使い方、儲け方、リスクは抑えて利益を勝ち取る 阿部智沙子 日本実業出版社」の計10冊 返却日1月10日(今回は正月を迎え7日間延長であるが、面白い本に出会うかな~)

2015年12月21日 (月)

ボウリング45

週が明けて、今日もいつものボウリング場へ練習に出かけた。Aさんに会ったが、自分なりに練習をしようと思ったので、Aさんから離れた3.4レーンで練習した。結果は、11ゲームしてストライク19回、スペアー39回、ハイゲーム166点、アベレージ137点であった。野球、サッカー、ラグビー等にしろ、スポーツで有名な人達はごく僅かである。他人からご指導、ご意見を頂くのは有難いが、今さら有名選手になるわけではないし人生を自分なりに生きている。パソコンの習得のときもそうであったように、地べたを這いずりまわるようにして我流で覚えた経験がある。ボウリングも人に依存するのではなく、自分で切り開いていくのがベストであるとことを痛感した。ストライクやスペアーの取り方、立ち位置がどうだ、投げ方がどうだ、投げ方のリリースがどうだとか、この齢になるとどうでもいいのではないかと言うことに気がついた。そもそも健康維持のためにボウリングを始めたのだから、今日の結果はそういうことを暗示しているようである。無心に我流で投げた結果がこれである。フックだカーブだにこだわることなく自分の思うように投げ、それが健康維持に寄与してくれればそれで良いのではないか。だが、健康ボウリングにしては、ボウリング場の煙草の煙が神経を逆なでしてアベレージがアップしない(負け惜しみ)。

2015年12月20日 (日)

高血圧と不整脈(心房細動)

高血圧症は、50代の頃、近くの医院・院長に往診をして貰ったのがきっかけであった。その頃は、仕事(合理化の手先)は面白くなく、帰宅後よく酒(麦酒)を飲んでおり体重も80㎏近くあった。当時は晩酌としては麦酒中3缶程度飲んでいたと思う。この日に限っては、1缶飲んだら後が飲めなくなった。家内は(珍しいね)と言っていた。テレビを見ていたらふらふらして起き上がれなくなった。起き上がると倒れるのではないかと言う不安がよぎり、家内に近隣の医院に往診依頼の電話を頼んだ。医院の受付を通じて院長に一生懸命頼み込んでくれた。院長は、渋い返事ではあったらしいが来てくれた。診察して院長は「血圧が高いので薬を取りに来るよう」にと言って帰って行った。それを機会に院長は、主治医になった。2週間に1回の受診、血圧測定、6か月に1回の血液検査が定番になった。心電図をとると期外収縮が見つかったので併せて薬をくれたが、当時の私は、薬に対するアレルギーが強く指示に従わずこっぴどく叱れ、「転院してくれ、総合病院へ紹介状書きますよ」と言われて謝罪したことが今でも思い出される(この結果、不摂生もあっただろうが、期外収縮から心房細動となったようである)。先生が往診してくれず、高血圧に気がつかなかったら、もっと早くこの世からおさらばするか半身不随になっていたかも知れない(今は感謝の気持ちで生きている)。この先生の診察であるが、診療台に横になり血圧測定1回、血圧が高い時は深呼吸させてもう1回(今日は高いぞと思うとあまり良い気分ではなかった)、起き上がって1回と2~3回必ず測定し、聴診器を胸と背中にあて、両足のくるぶしを押さえた後に測定数値のコピーをくれた。寡黙な先生で結果について、私が尋ねない以上はこれで診察は終わり院内投薬を受けて帰るだけであった。先生が老いて引退・閉院、息子さん(医者)の所に転居する迄面倒を見て貰った。

この医院の建物と敷地は、N病院の出先クリニックとして再発足したので、その後はM院長に診察を継続して貰うようになった。この時に心電図、24時間ホルター、心臓エコー等検査で不整脈(心房細動)と診断され、ワーファリンの投薬が始まった。この間にM院長のクリニックも閉院する等紆余曲折があった。今は家から近いクリニックに転院しているものの、不整脈(心房細動)の投薬は続いている。同じ病名で8人の先生(代診を含む)から診察と投薬を受けたが、人間いろいろドクターもいろいろ面白いものである最初のH先生の弟は通称ムツゴロウさん(タレント?兼獣医師)であったが、小柄なところは兄弟で似ていたようである。H先生は自己顕示欲もなく、どの患者に対してもごく自然に淡々と診る立派な先生だったと思う。N病院の出先クリニックの代診ドクターは、傾向的には威張る、無責任、形式的な診察、血圧測定もしない等も見られた(病院は今も存続)。

現在受診中のクリニックは総合内科(かかりつけ医)であるが、この院長もH院長と同じく、こちらから訊かない以上はいろいろ言わない寡黙で優しい先生である。医師も経験を積んで患者に安心感を与える先生に成長されるのであろうが、私(蚤の心臓?)には頼りになる先生である。そうそう、今の先生に出会う前に「高いですよ(血圧・心拍数を測定)」と不安にさせ、投薬増量、検査漬にする先生に出くわしたことがあるが、診察を受ける度に血圧が上がることがあったので、振り出しに戻るには(清水の舞台から飛び降りる)勇気がいったが、現在のクリニックに転院した。今も降圧剤(25年)、ワーファリン(8年・月1回のINR検査)の投薬を受けてはいるものの、白衣性の高血圧にもならず、受診時の血圧は、ほぼ130/80前後である。愛読しているブログ「自分スタイルのセカンドライフ」のドクターによれば、長年の大量投薬による副作用で80歳を過ぎると脳梗塞や呆ける人がふえるとも書いてある。生きて呼吸していると不安は尽きぬものである。とは言いながら病院でチューブにつながれたり、施設で童謡などを歌わさられるのは御免こうむりたいな~

今朝もいつものコースを歩く。先日から河畔の先に見える紅葉が気になっていたので、出直しデジカメにおさめた。どうも小さなハゼノキのようである。あまりにも綺麗だったの2,3枚撮る。

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2015年12月19日 (土)

ボウリング44

一昨日は練習、昨日は例会と、先週も3回ボウリング場へ行って来た。結果は相変わらず進歩なく低調と言うより低下していた。最近の練習、例会のデーターを見るとアベレージは下がっているようである。「一昨日の練習12ゲームアベレージ126点、昨日の例会3ゲームアベレージ114点(前々回141点・前回132点)」原因は、投球フォームが決まらないことではないかと推測している。老いて身体の弾力性も低下、硬くなっているはずだからフォームも固まって良いようなものの(虫の良い考え?)、投げる時は腕の振りがバラバラで右に行ったり左に行ったりで安定しない。老化現象は如何ともし難く少し悔しい思いをしている。とは言っても今更肉体改造するなど大それた気持ちはないが。

金曜日午前のクラブ6チームは対抗戦をやっている。ハンディこそ、今年の4月にボウリングを初めてからレベルが徐々に上がっていることは(59⇒50⇒40)事実であるが、例えば150点のスコアを出すと190点のスコアになる。今のところ、3匹の老人の我がチームは堂々の第3位?である。だが対抗戦はまだまだ続くので油断はならない。昨日のようにハンディを貰って154点ではとてもチームに貢献しているとは言えない。Mさんも好成績であったが、特にハンディ50のTさんが、ハイスコア198点、ハンディを50をプラスすると248点と凄く頑張ってくれた。おかげで昨日のチーム総合得点は上がったものの、吾輩がチームの足を引っ張ったと慙愧に絶えない。老体に鞭打って更に努力を重ねるしかない。┐(´д`)┌ヤレヤレ

2015年12月16日 (水)

ボウリング43

昨日、ボウリングの練習に出かけた。私の師匠(勝手にそう決めている)のAさんが練習に来ていた。早速Aさんの隣の2レーンで練習を始める。それぞれ練習しながら、投げ方のアドバイスを熱心にしてくれるが、なにせ老化した脳は理解力に乏しく、何度も何度もご指導をいただくが、ボールのリリース、手のひらと指の使い方がうまくいかない。Aさんは点数にこだわることはない。形を作ることが大事だと言ってくれるが、アベレージアップ(欲)に意識が行くので投げ方がバラバラになり、時々はいい感じで投げることあるものの基本的な形が出来ていない。結果は、11ゲームのアベレージ119点、ハイスコア―151点であった。なかなか思うようにいかないものである。Aさんは今日も投げている間に300点を出しボウリング場の社員から、パーフェクトの王冠画面を背にして写真を撮って貰っていた。40年のボウリングキャリアとその人の才能は、各ゲーム250点以上のアベレージを楽々に出し恐れ入る。1年未満のひよことは月と鼈以上である(10割打者に対して3割打者と言ったところか)。何か読んだことのある言葉をもじって「投げても投げても わがアベレージ良くならず じーっと手を見る」。

2015年12月13日 (日)

閃輝暗点

最近頻繁に起こる。閃輝暗点との付き合いはさかのぼること18年になる。1997年7月通勤途中雨で高速道インター出口でスリップしてブレーキを踏んだら車が一回転した。その時右頸椎を痛めたと素人判断している(それから右首筋の痛みを感じながら生きている)が、車だけは損傷は全くなかった。

当時、職場ではパソコンを使っていたが、マニュアル通りに決済するだけでパソコンの知識は不要であったと記憶している。11月仕事中に眼の異常を感じてA眼科を受診した(30代の中心性網膜炎の再発かと思った)。総合病院での検査を受けるように指示され、翌日S病院眼科を受診したが、若いドクターは診断出来ず様子を見ましょうで何回か診察を受けたが、眼底検査等では問題も無く有耶無耶に終わった。その後度々閃輝暗点症状(当時は病名不明)が度々起こるので、2001年10月Y眼科を受診したが、この時も閃輝暗点と言う診断もなくもやもやしたままで終わった。

退職後、パソコンを本格的にやり始め、インターネットの検索をするようになり、素人なりに閃輝暗点と判断した。2010年から2013年頃まではそば打ちクラブを主宰しており、時々起こっていたが気になるような回数ではなかった(脳検査MRI異常無)。

ところが、最近2014年、2015年と平均すると月に1回以上発生しており、ちょっと気分的には憂鬱である。ただ発生の仕方が、14年6月頃までに10回程度発生したが、年の後半は1回程度の発生で終わっている。15年は6月までに4回発生し10月まで皆無であったが、最近は度々発生している。症状は、小さなギザギザが拡大し20~30分で消える。いつ起こるかと言うと突然起こるとしか言いようがない。テレビ、飲酒(特にワイン)、珈琲、チヨコレート、パソコン、疲労、ストレス等々で発生するとのネット記事は見られるが、吾輩もその辺のところは注意しており、高齢でもあるし無理をしないようにしている(とは言いながら麦酒も飲むし珈琲も飲む)。片頭痛等があれば、投薬等も必要かもしれないが、そのような症状は若い人の閃輝暗点ように無い。何せ、長年(高血圧、不整脈で受診しており、クリニックから多大な投薬サービス?)を受けており、これ以上の薬剤の服用は好ましく思わないし(自己判断)、現状維持でいきたいと思っている。まあ歳も歳なので、ナイーブにならず気楽に、成行きまかせがベストかな~、重大な病気が潜んでいてもケセラセラで良いかな~喜寿にもなるしOKかな~