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2015年3月

2015年3月30日 (月)

秋月の桜

秋月に行ってから10年近く経っているのではないだろうか?最近、以前撮った秋月のデジカメ写真を眺めていて、もう一度行って見たいと思ったので、桜の季節ではあったが、平日なので混雑しないだろうと、のこのこ出かけて行った。交通の便が良いとはとても言えない。山を越え、うねうねまがった山道を登り下りしやっとこさ着いた。江戸時代秋月藩(黒田藩⇒大河ドラマの黒田官兵衛の分家筋らしい。)があったが、山に囲まれた鄙びたところである。観光地的な場所にはなっているが、今でも町並みはいりくんでおり道も狭く、そこへ近郊の県や市の車があちこちから乗り入れ、町中の本道は離合も困難であり渋滞の連続である。現風景を見ると前回行った時と、ほとんど変化ないように思われるが、訪れる人が多くなったことと、商売気が出てきたせいか、桜並木には店が増えた。地域おこしの影響だろうか?日本全国金太郎飴の世界の気がする。しかし、よく見ると、歴史が伝承されている風景も見られるのは有難い。新しい建物が増えてはいるが、高木久助の葛、長屋門、黒門、石垣、眼鏡橋、田畑の景色はちっとも変っていない。新しいところでは、月の峠(行列のパン屋)である。

今日の秋月の風景をデジカメに撮る。上から月の峠、眼鏡橋、清流と桜、石橋と桜、桜、長屋門、桜並木、抹茶を一服、高木久助と葛餅

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2015年3月22日 (日)

ルンバと椅子

2014年9月甲高い声の持ち主(通信販売のT社長「O家具の父と娘と違い、今年社長職を息子に禅譲」のCMの声)に魅了されて、掃除ロボット「ルンバ」を購入した。それまでは掃除機をかけていたが、老化により若干取り扱いに抵抗を感じていた(つまり長い時間掃除機をかけていると腰が痛くなる症状が出る)。以前、家内から掃除ロボットの購入要望があっていたので、これ幸いと「清水の舞台」から飛び降りた。購入当時は、スイッチさえ入れてやれば、勝手に動き回って、狭いところであれば自己判断で業務完了と自動停止するし、広い部屋の場合は(言うほど広くはないが)、腹一杯動き回って充電がきれると、ステーションに勝手に戻り掃除終了となる。家事労働の一つである掃除をロボットに任せられ、その間自分のやりたいことが出来るので便利であり、調法であった。しかし、一難去ってまた一難である。つまり、個々の部屋を掃除にする際、椅子が邪魔になり、掃除の間椅子を撤去せねばならないことである。特に食卓の椅子は、木製で重いのである(買った時から重かったが、歳と共に年々重くなった)。ルンバの出動前には、重い椅子を隣の部屋に運ぶと言う仕事が増えたのである。これは、年寄りにとって大変危険極まりない仕事であり、手指が滑ってこの重い椅子を足にでも落とそうものなら骨折しかねないし、それが原因で寝たきり介護の一歩となり兼ねないからである。購入後は、なお一層椅子の移動に用心するようになっていた。最近、文具チェーン店のチラシを見ていると、事務机用の椅子の広告がでていたので現物を見に行った。椅子は、メイドインチャイナのキャスター付の椅子であった。移動手段は押せばよいので、足に落としかける心配もない。更に、この手の椅子は、ガスで上下するので、利用する人の身長(足と胴の長さで)で調整できるので、画一的な食卓用椅子と違って、都合が良いと判断した。使ってみると、非常に使い勝手がよく、お蔭さまで、椅子の移動もスイスイで楽になった。家族にも好評であった。しかも1脚4,000円程度(肘掛付でフィット感も良好)である。評判の悪いメイドインチャイナであるが、満更メイドインチャイナも捨てたものではないと評価した。我家の遺産(重い椅子)を破棄するのは、昔人間としてはもったいないと思ったが、これも「清水の舞台」から飛び降り(こう言うのは、何度飛び降りても命に支障ないので)、勇気と決断を持って断捨離を実行した。

春本番、河畔の桜も間もなく開花するでしょうが、今日はスモッグがかかっていました。このようなメイドインチャイナのPM2.5はご遠慮したいが、地球は一つ困ったものである。「晩成の郷」の近くの見事に開花した木蓮と紅葉の新芽、ついでに春の七草の一つ(仏の座)と土筆。

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2015年3月15日 (日)

図書紹介

図書館に行くと、高齢者の人生観的な本に目が行く。最近斜め読みした本に、中野孝次氏の「老年の良識」と加藤寿賀氏の「なぜはたらくのか―94歳・女性理容師の遺言(バーバーホマレ)」がある。両氏の本とも考え方には共通点もあり共鳴する部分が多々あるが、戦前・戦後を生きて来た姿勢と言うか行動力は雲泥の差である。人としての精進不足と生き様に恥じる次第である。しかし、両氏と違って、今のところこの世に存在しているので、少しでも努力はしてみようかとは思っている(有言不実行の可能性も多分にあるが)。

中野孝次氏の目次は、捨てる・受け入れる・養生する・出会うからなっている。加藤寿賀氏の目次は、「はたらき」続けて・「戦争」に生きて・日本人が忘れた心・生きる喜び・94歳、最後のお説教とある。興味のある方は読んで見られたらどうでしょうか?特に、加藤寿賀氏は、関東大震災、戦前戦後の混乱・困難な時期を生き抜いた姿が、一国民の目線で記されていたが、強い感動を覚えた。

暖かくなり、彼方此方で花が咲きはじめたので、新聞等で紹介されている白野江植物公園に出かけ、デジカメ写真を撮りました。この公園は、「四季の丘」と言う個人(材木商)の所有地と建物だったのを、市が買い取って整備したらしいです。市のホームページ「白野江植物公園」に詳しく載っています。興味のある方は、ホームページをのぞいて見てください。

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2015年3月 6日 (金)

寄せ書き

1976年、当時の厚生省に派遣された。一般的には、各省に地方自治体の職員が国の仕事を手伝うため、若い職員が派遣されている。研修とは言っても要は下働きで、コピー取りや単純業務が主であった。何故中年の小生が派遣されたかはそれなりの事情があったが、配属された課の事務官よりは10歳程年上で、下働きとしては少し使い勝手が悪かったのではと思っている。日本のキャピタルに来た小生は、見るもの聞くものが新鮮で、魅力的であった。まさに文明開化であった。

飲んで騒いで地方に何度か事務官のふりして(虎の威を借りて)、地方に同行してそれなりに楽しい日本見聞録であったが、あっと云う間に研修が終わりフランチャイズに帰ることになった。局長から研修修了証書と記念品の高級万年筆(いまどきの60万円もする絆のモンブラン万年筆ではなかったことは間違いないが)を頂いたことが思い出として残っている。今は、研修修了証書も万年筆も居所不明(紛失)になった。記念の寄せ書きは、書類等を断捨離中に発見したので、これだけは研修遺跡とし保存している。

寄せ書きを見ると、月日の経つのは早いものであるが、当時の方々を思い出します。印象に残る寄せ書きベストスリー(独断と偏見で選定)は、「照一隅」「星火燎原」「無事是名馬で」です。それぞれ含蓄のある言葉です。「照一隅」は寄せ書きの真ん中に書かれていたが、単細胞の私は、地方で頑張れぐらいの意味にしかとってなかった。深い意味があったことを老いて理解した。この方は課のトップで、子どもの頃は、山梨県の神童と呼ばれていたそうである。舌鋒鋭く、切れ味が凄かったのが記憶の片隅に残っている。生涯現役で、社会福祉法人の専務理事としてご活躍されていたのを数年前テレビで拝見したが、一昨年89歳で亡くなられた。ご冥福をお祈りします。「星火燎原」は、大の巨人ファンで、当時、毎年後楽園球場の年間指定席を購入されていた。所用で行けないので、応援に行ってくれと頼まれ、ナイターを見に行ったことがある。その日は、巨人・阪神戦で、巨人ファンばかり、四面楚歌の観覧席で内心では阪神タイガースを応援し、阪神タイガースの勝利であった。小生は、一宿一飯の恩義で「巨人が負けて残念でした。」と報告(面従腹背)した記憶がある。今まで、平々凡々とあまり無理をせず生きてきたし、中庸をもって本分とすべしがモットーだったので、今があるような気がしてならない。だから「無事是名馬」は好きである。このほかに、「温故知新」と書かれたAさんは、樺太の出身だったが、頭脳明晰、弁が立ち、頭の中で整理してきっちり話されていたことが強く印象に残っている。酒が大変好きで早く亡くなられたが、情にも厚く素晴らしい人だった。公私共にこの方には大変お世話になった。全部で27名の方の寄せ書きをいただいたが、家人には猫に小判である。私が黄泉の国へ旅立つときは、一緒に煙となって天高く舞い上がってほしいと願っている。

今日は啓蟄、「晩成の郷」の菜園もだんだん春めいてきたが、これからボチボチ野菜も成長するでしょう。竹林?も緑が増してくるでしょう。

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