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2015年2月

2015年2月27日 (金)

難聴

そば打ちクラブ「晩成の郷」を主宰していた頃、蚊が耳のそばに飛んできた。殺意を持って思い切り我が耳を叩いた。蚊を死に追いやったかどうかは不明である。その結果、耳の調子が悪くなった。耳鼻咽喉科を受診したが、ドクターは問題ないですよと言って、治療行為の一環で軟膏を処方された。しかし、その頃から、人の話が聞き取りにくくなった。どうも気になるので、2年ほど前に再度ドクターのところに行って診てもらった。今度は、聴覚の検査をしてくれたが、老化現象で聞き取りにくくなっているが、補聴器の必要性は今のところはない、正常と難聴の境界と診断された(いまどきこのような商売気のないドクターは珍しいと思った)。

人の会話やテレビを見たりすると、どうも聞き取りにくいので、試しにネットで補聴器を購入してみた。テレビを見るときは、少し聞き取りが良くなったが、日常付けていると異和感があるので外している(入歯と一緒で常時付けた方がなれるので良いよと家内から助言を受けているが、なかなか言うことを聞かない性質である)。

車の運転は、視力がフォローするので(まだ白内障の域に達していないと判断している)、救急車が近づいても不便を感じない(甲高い警告音は十分聴こえる)。まだ大丈夫だと運転しているが、一番聴力のお衰えを感じるのは電話である。自然とこちらの応答が大きな声になる。相手の声が小さいと何度か聞き直すことがあるし、大きな声で話すようにお願いするときもある。まあ、それでも日本語(外国語は適用外)が通じているので耳はそれなりに機能しているのだろう。

老化現象は、加齢と共にいろいろ出て来るし、難聴もその一つと認識しているが、無駄な抵抗は最小限にとどめ、現状を素直に受け入れる気持ちで臨みたいと思う昨今である。

今日は、「晩成の郷」近くの障害者施設で焼く食パンを買いに行った。この食パンが大変気に入っている。野菜や肉と一緒に、麦酒のつまみにしてもこれが旨い!ついでに、菜園と周辺の風景を撮る。野鳥がグリーンピースの新芽を食べるらしく、Fさんがネットを張った。梅も今を盛りと咲いていた。

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2015年2月22日 (日)

小説家の日記

最近、小説家山田風太郎氏(本名山田誠也1922~2001没)の「山田風太郎の戦中派・焼け跡・闇市・復興日記」を読んだ。日本の太平洋戦争開戦から敗戦時代の1946年~1952年頃の日記である。生活の日々が綴られているが、本をよく読む(桁違いの読書家で恐れ入る。このように本を読まないと小説家になれないと理解した)。映画・演劇等をよく見る(映画・演劇・サーカス・ストリップ等々。これが小説の肥やしと理解した)。酒をよく飲む(自宅・知人宅・酒屋・居酒屋・キャバレー・飲食店等女性との交流?等々。これもまた小説の肥やしと理解した)。酒を飲んでも文章を書く(酒の勢いで筆が進むと理解した)。作家同士等での金の融通(借りた貸したが、日常茶飯事に記されている)。空襲(残酷な死)、終戦、鉄道混乱(今でもインド・タイ等の一部鉄道に見られる)、食糧難(買い出し・飢え・配給)。このように、あの混乱の時期でも、医学生(今の東京医科大学)であったが、活動的でエネギッシュな日々を送っていることが見て取れる(若かったせいもあるかも知れない)。社会の安定と共に、名がうれ、原稿料があがって行くのが克明に記されているのが面白い。衣食住も贅沢になっていくのがよくわかる。朝鮮戦争の特需により、景気が良くなり国民の生活が豊かになって行くのも垣間見れる。国民が厳しい環境の中で、雑草のように踏まれても踏まれてもしぶとく生きていた様子がうかがえた。

山本周五郎氏(本名清水三十六-1903~1967没)の「山本周五郎戦中日記」もついでに読んだ。1941年の太平洋戦争開戦から1945年の終戦前までの3年余りの、空襲体験、作家等文化人との交流、飲食等の日記であったが、既に作家としての地位を築いていたせいか、戦時中ではあるが生活に余裕が見て取れた。

私も当時、母が、夜中の空襲警報で私と弟を連れて防空壕に避難しようとした時に、「眠くてたまらず、死んでも良い」と言ったそうである。終戦後、その話をよく聞かされた。今も戦争は大嫌いである。子供だった私の睡眠を戦争が妨げたからである。

著名な作家の日記を読んで感じたのは、敗戦から70年、戦争に巻き込まれることなく平和な日本で来たが、この間、世界のあちこちで戦争(紛争)があり、破壊と殺戮が続いている。日本は、これからも、世界の戦争(紛争)に参加しないことを期待したいが、夢かな?

雨水も過ぎ、だんだんと暖かくなって行くだろう。今日は、雨が断続的に降っている。PCやUSBに保存している写真を見ていたら、秋月があった。この地は黒田藩の支藩(血縁で上杉鷹山ともつながってるらしい)があったところで、山奥で自然がいっぱいの地である。桜の季節が最高なので、今年は久しぶりに行って見ようかなと思っている。2002年の秋月城址。

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2015年2月19日 (木)

人類の寿命

ケースワーカーの頃、生活保護の適正実施に向けて指導を受けたが、国民の生活保護申請を如何に食い止めるとかという「水際作戦」を実践させられた。防波堤を1次(ケースワーカー)2次(係長)3次(課長)と対応するシステムを構築しても、国家・国民生活の安定時期、世界の経済が各国それぞれの経済での安定時期であれば、押し寄せる波(生活保護申請)を食い止められるだろうし、お引き取り願えるだろうが、政治・経済・国際情勢等の、外圧によっては、防ぎようがないと思っていた。過去、地域においてエネルギー革命での炭鉱の閉山で「水際作戦」はひとたまりもなかった。保護率は上昇し、計算ワーカーになり生活保護の適正実施など絵空事になった。今は、世界経済の中で日本経済が勝ち抜くと言う錦の御旗で、良き時代の親方日の丸、家族的風習(正規雇用)は減少し、派遣社員、パート就労等々で国民の多くは厳しい生活・経済環境に置かれている。こう言った時代に「水際作戦」の効果は乏しい。世界経済と言うマクロ経済によって弱者は更に貧困へ、富める者は更に豊かになる。貧困者は無力になり、勝者を代弁する政治家は富者を益々太らせる。この被害は年金生活者も然りである。社会主義国家(中国人民共和国?)と言われているが、これもまた、貧富の格差は現状の日本以上で、社会主義国家とは程遠い位置にある。テレビ等で観光旅行で来る中国人を派手に取り上げているが、金の使い方は桁違いである。一方中国の辺境の地に行けば、年間所得が1,000円~3,000円に満たない家族も多々ある。世界の流れは、すべて金、金(経済)の世界になりつつある。まさに、芥川龍之介氏作の「蜘蛛の糸」であり、人類滅亡も早まるであろう。世界の指導者は連帯して、人類を平等に愛し、正義・公平の指導者として、人類の寿命を延ばして貰いたいものである(長く生きて来ているので、寅さんではないが、「あっしには関係ない」と言ったら言い過ぎかな~?)。

「晩成の郷」周辺を散歩する。白木蓮の蕾も一段と膨らんでいる。花開く時が楽しみである。紅梅はものの見事に開いていた。

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2015年2月15日 (日)

飛行機

飛行機は、30歳前後に1度乗ったきりで、高度恐怖症ではないが、それ以降乗ったことがない。ガラパコス諸島の生物ではないが、これではまるで生きた化石と言われそうである(私の家族は、度々飛行機に乗っている)。人生たった一度のフライトは、今は亡き両親からの勧めで、昭和45年大阪万博の帰りに、関西から九州への1時間30分程度YS-11(国産プロペラ旅客機)に乗った記憶がある。家内も初めてであり、瀬戸内海の上空からの眺めは驚きと嬉しさで一杯だったようである。あれから40年以上になるが、専ら鉄道と車しか乗らない。目線に合っているのか、空飛ぶ乗り物より地上の乗り物が好きである。乗り物には事故が付き物ではあるが、一事故における死亡の確率は、空中事故が高いとの妄信と、鉄の塊(最近は化学繊維も多用されているらしい)が空を飛ぶことが理解できないことにある(同じような妄信を持つ人も、わが国には少なくとも数十人?はいると勝手に確信しており勝手に心強く思っている)。したがって、海外旅行は、船旅でお隣の国に2度ほど行ったきりである。船も「舟板1枚海の底で」、海も苦手ではあるが、若い頃は泳げる、浮くと言う自信を持っていたので平気であった。今は、老化現象のお蔭で転覆すれば溺死する自信しかない。

この世にこの後何年生存するか、偶然の積み重ねと成行きしだいではあるが、生きている限りアンチ飛行機が続く予感がする。

今日は久しぶりに「晩成の郷」の様子を見に行く。悠悠庵の人達が来ていたらしい。車が何台か止まっていた。Hさんに会ったが、夫婦で芋?を植えに来ていたようである。今から、春の野菜等を植える時期になるが元気に育つと良いですね。Fさんに頼んでいる菜園は、だんだん広がっているようで楽しみです。菜園と駐車場の風景を撮る。(広がる菜園・耕す菜園・周辺・渡り鳥ツグミ「シロハラ?」)

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2015年2月14日 (土)

昭和

最近、半藤一利氏(文芸春秋元編集長・作家)の「隅田川の向う側ー私の昭和史」を図書館で借りて読んだ(勿論買ってまでは読まない⇒唯我独尊の小生は、本屋や作家のスポンサーになる気持ちがない)。氏は1930年生まれの悪ガキで、東京都墨田区の下町に住み、近所のソバ屋の子どもであった王(元巨人軍)をいじめていたらしい。よく遊びよく遊びの、のびのびとした日々が描かれている(記憶力・表現力は子供頃から花開いていたのだろう)。5歳前後から28歳位までの戦前戦後の苦しい時代(青春時代)をイキイキと淡々と生き抜いていたことも書かれていた。とにかく面白く共感しながら読ませていただいた。昭和の時代の先輩であり、かぶるところも多々あるが(浅草など興味がないし隅田川も興味がないが、考え方や生き様は変わらないような感じがするだけである)、小生と違うところは文武両道に秀でていたところである(脳の構造が違いすぎる)。これはまさに、人間の能力そのものの格差社会であり脳力の貧富の差である。

しかし人間である以上は、知識・能力は数段の開きがあっても、勲章貰う等有名人になっても、100歳100歳の世界であるし、歴史を見ても、優秀と言われる人が大罪を犯す事例は数知れず、指導者が国民を奈落の底に落とす事例も事欠かない。負け惜しみ?ではないが、平凡に、平穏に、人に迷惑をかけず、無事是名馬で人生を全うしたいと思っている。そうは言っても、偶然の積み重ねである以上成り行きに任せるしかないのかな~

いずれにしろ、小生の人生のメインは昭和にある。昭和の戦前戦後は、残酷で、悲惨で、泥臭く、不潔で、食べ物に飢え、栄養失調で、国民は大変だった。そんな苦しい生活の後に解放された国民は、勤勉、実直に復興に努めた今がある。昭和の歴史を学ぶならば、その先に繰り返してならないものがある。早々、元ドイツの大統領(ワイツゼッカー)が先日亡くなり、メディアが大々的に報じていたが、ドイツは周辺諸国と友好的に立派な戦後処理を果たしたな~ それに比べて我が国は~?

今日は「自分スタイルのセカンドライフ」のブログに刺激されて、少し長めの散歩をした。天気も良く暖かで、河川の散歩道を歩く人も多かった。今日の空と猫の額の菜園(整地して春野菜準備中)を撮る。

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2015年2月11日 (水)

著変なし

若いころ(と言っても30代を過ぎていたが)、朝の朝礼?で上司が我々職員を集めて訓示をした。諸君のケース記録は最近「ちゃくへんなし」が多い、訪問記録を詳細に具体的に書くようにと指示した。その頃ケースワーカーであったが、新規申請に追いまくられて訪問活動が不十分であったかどうか?記憶定かではないが、職員で「著変なし」というゴム印を訪問記録に押すケースワーカが多かった。上司は、ケースワーカーの経験がなかったので、ケースワーカーから、「著変なし」のゴム印一つで回ってくる訪問記録に決済印をつくことが不快で、仕事をしていないと思ったのであろう(35年以上前のことだから、今はケースワーカーがどんなケース記録を回しているか知らぬことだが)。みんな俯いて、訓示を聞き終わった後、席に戻ると笑いながら同僚とこそこそ雑談したことが脳の片隅に残っている(今になってみると大してことでないと思うが、当時は「ちゃくへんなし」という訓示が未曾有「みぞうゆうと読むと笑われます」の出来事だったのかな~)。

最近の日々の生活を見ると「著変なし」の生活である。朝5時過ぎに起床、新聞に目を通し6時30分前後に朝食(一般的にはご飯とみそ汁とリンゴ入りカスピ海ヨーグルト等)、投薬、ラジオ体操、散歩、読書(図書館の本のタダ読み⇒納税しているからそうではないか)、株の確認(平日⇒うまくいけば1万円以下の収入がある⇒めったにそうはいかない現実⇒しかも20%少し税金に持っていかれる)、昼食は麦酒(小缶が望ましいが、意志が弱いのでともすれば中缶になりやすい傾向がある)、野菜中心、刺身、魚の煮付け中心、後は珈琲、午後もネット株を確認するも眠くなるので30分から60分の午睡、夕食は原則として接取せず(この努力の賜物でウエイトを現状維持)、19時投薬(降圧剤)。テレビ(あまり利口にならない番組=指導者が喜ぶ番組とローカルニュース)を見て就寝する(脳の老化のせいか老いて脳が働かなくなったのかすぐにあの世に行く⇒リハーサル中)。

毎日毎日がこんな日々でなので、つまらぬブログを省略して「著変なし」のゴム印で済ませたいものである。

新車でドライブした。最近行ったことがなかったが、杜に囲まれた結婚披露宴・パーティ・イベント・宿泊等施設のある「葡萄の樹」へ行く。ここのパンは気に入っている。店ができた頃は、パンも大きく、値段も安かったのが、有名になりすぎブランドものになったせいか、値段も高くになり、その分パンは小さくなった。天気は良くなかったが、デジカメに撮った。

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2015年2月 6日 (金)

納車

新車購入を決断して1か月近く経ったが、今日納車となった。弁舌爽やかな営業課長が花束を抱えて我が家にやって来た。一通りマニュアルの説明をしてくれたが、さすがに立て板に水、素晴らしい説明であった(進化した車の取扱を老いた脳力?では一度聞いただけではマスター出来ないことを理解した)。今後、使用書を読みながら問題点、疑問点の解消に努めたい(恐らく睡魔が襲って来るだろう?)。この車はハイブリットなので、1回の給油で1,000㎞近く走るらしい。若い頃なら長距離ドライブをしたので有難味があったが、今は買物程度でその辺をウロウロするぐらいなので、満タンサービスのガソリンの賞味期限が切れるのではないかと危惧している(年を取ると取り越し苦労をするものである)。いずれにしろ、O課長さん。ご無理を聞いて頂きありがとうございました。これからも車に関する物心両面のご支援、ご指導よろしくお願いします。

ちょっと派手なカラーになったが、今風の高齢者が派手なシャツを着るようなもの(私は年相応のものしか着ていないが)。

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2015年2月 4日 (水)

ご冥福を祈る

イスラム国に拉致された2名の方が残念ではあるが帰らぬ人となった。メディアは人の死の悲しみよりも言うところの個人情報に目が注がれ、テレビ、新聞等を通して膨大な情報を提供してくれた。政治の世界も然りである。世界中の指導者が怒りの発言をし、テロの撲滅を訴える。日本の政府首脳も経過報告の中で救出に向けて「緊張感を持って」と言う言葉が何度も繰り返された。しかし、世界の首脳の弔問外交のように、家族の悲しみのような感情が見られない。ただ、情報の中にあった家族の発言の一言に救われた。息子を殺された父親は、救出のためイスラム国で殺された方の「ご家族には申し訳ない気持ちでいっぱいです」。殺された方の兄の言葉「兄としては今回のことは軽率な行動だったと思います」。この言葉に何か家族の方の人間の優しさ、思いを感じます。以前「生とは偶然の積み重ね」と言うブログを更新したが、この事件も個々の人間が偶然の積み重ねからの永遠の別れのように感じます。心からお二方のご冥福をお祈りします。

翻って「目には目を歯には歯を」の負の連鎖ではなく、紛争、戦争ない平和な世界を築く努力を、世界の指導者にお願いしたい。役には立ちませんが、田舎の片隅で期待しています。

神も仏もあるのかな~?今日は立春、毎年4月末には「藤まつり」で賑わう吉祥寺を久しぶりにのぞいて見ました。(境内は静まり返り、春を待っているようです。)

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2015年2月 2日 (月)

猪鍋

悠悠庵のNさん(代表)から相談があるので出て来てくれないかと電話があった。一瞬不安がよぎった。ひょっとすると何か要望でもあるのか?注文でもあるのかとネガティブな想像をしてビクビクしながら出かけた。

駐車場で待っていたNさんが悠悠庵まで案内してくれた。Nさんは、現役バリバリの時は100億近くの売上を誇る企業の代表であったが、今もセカンドライフとはいえ事業をする現役である。非常にポジティブ、前向きな人生を送っておられる。

悠悠庵は、私が固定資産税程度で貸与している50年近く経つ古家であり、そば打ち・菜園同好会の皆さんが遊び場として利用している。建物に入ると部屋の中に、「晩成の郷」時代からの見知った顔が並んでいた。狭い部屋であるが、和気藹々と鍋を囲んで話が弾んでいた。

今日は、定例会だったが、私を呼んだのは、珍しい猪鍋を食べさせるためであったが、気を使わせないために「相談がある」と連絡をくれたらしい。やはり人の上に立つ人は違うと感心させられた。

食卓(長机)には猪鍋がぐつぐつ煮え、鹿肉の煮物が皿に盛ってあった。猪鍋を食したが、味噌味で濃厚であるが、臭みもなく旨かった。猪肉、鹿肉の出処は、そば打ち指導員のHさんだった。Hさんには、鉄砲打ちの友達がおり、獲った鹿肉と猪肉のおすそ分けを頂いたらしい。畑で採れた地産地消の里芋、椎茸、大葱等々具だくさんの鍋は、テレビのグルメ番組の料理とは違うが、この素朴な料理は、鍋以上に私の気持ちを暖かくしてくれた。そうそうTさんは料理を担当していたが、主夫?に相応しい料理に感服した。

食後の珈琲と東京土産の「すいーとぽてたまご」を食したが、珍しくしかも美味しかった。いずれにしろ、心温まるもてなしを受け感謝、感謝であった。帰る時は、畑で採れた大根、分葱、ブロッコリー迄お土産に頂き、自分の周りには素晴らしい人が沢山居ることを心強く感じた。有難う!

「晩成の郷」の菜園は、Fさんのお蔭で少しずつ変化している。Fさんによれば、今整地中の畑にはメークイン(ジャガイモ)を、もう少し先には、胡瓜やトマトを植えるとのことです。期待してま~す。

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